都市の記憶・痕跡を生かした都市計画の提案
「焦士以前」を街にプリントした街
京都・東山・五条、七条あたりを散策した。狭い道、低い軒の連なる家々、先斗町の住宅地版、下町版と思って頂ければ良いか。戦前の風景そのままといった風情である。
広島も原爆でやられていなかったら、どんな街になっていたのであろうか。異郷の街を歩くことで、初めてそんなことに思いを馳せた。
被爆建物を、部分的に残していくだけでは、なかなか過去に思いを馳せることは難しい。原爆資料館に陳列されたものだけでは、都市の全滅に思いをめぐらしにくい。ヒロシマは、部分的にやられたのではなく、全壊したのである。
広島の土地のうち、官有のもの、道路や公園に戦前の地図をプリントするという計画を提案したい。現在の都市が、焦士と化した街の上に建っているということが、日々の生活の中で実感される。ヒロシマを訪れる人々にも、原爆ドームの存在以上の衝撃を与えることが、できるのではないか。世界遺産も原爆ドームだけでなく、原爆ドームと広島の街、という把え方に変わってくるに違いない。
広島から、視覚的な歴史は奪われた。ならば、資料によって、視覚化する他ない。その悲しさの上に建つ復興に、人々は、感動を覚えるのではないだろうか。