「父親達の星条旗」「硫黄島からの手紙」を観た。
戦争をアメリカ側からと日本側からの両面から捉えたセットものと紹介される。
しかしもう1つの見方として、国家の論理と個人の論理の相剋を描くことで、戦争の実態を描写したセットの映画と言えるのではないだろうか。
「星条旗」と「手紙」 にそのことが象徴されている。
クリント・イーストウッドで言えば 「ミリオンダラーベイビー」 も 「生と死の倫理」 と 「愛」 をもって、人間関係を映し出していた映画と言える。
西川美和の「ゆれる」では、兄弟2人から語られる現実そのものも不確かなものとして描かれており、現実を越えて2人の関係と存在が描かれている。
現実を物語るのには、一面的に語っていくのではなく、「建前」と「本音」とも言える二面から語る方がより本質を浮び上らせることができるのではないだろうか。
都市を語ろうとするとき、これらの映画のような表現を参考にできないだろうか。
都市は幾つもの側面をもって語ることができるであろう。
その側面、断面、切り口を相異なる2つの価値観を物語るパネルで表現することができるのではないだろうか。
例えば 「2つのパネルが語る都市の現実」 「本音と建前の都市像」 「都市の断面」・・・・・etc
写真でも、記事の切抜きでも、図面でも良い。
2つのパネルを前にして、都市の隠れた姿が脳裏をよぎる。 ・・・・・そんな作業の延長上に都市を語るツールが共有できるようになるのではないだろうか。