美しい街とは

呉市の募集する「美しい街づくり賞」に、2つの作品を応募した。 残念ながら落選。
こうなるかなという予測は十分にあった。以下は私の書いた応募理由の抜粋である。

「メゾンフェニックスⅡ」 混然とした景観の中で、これ以上雑然とした景観にならないよう、できるだけ目立たない存在となるよう心がけた。
外壁はコンクリート打放しであるが、荒々しさを避け、薄い白色仕上げとして、存在感を消すようにしている。 また、ワンルームマンションで目立ってしまうバルコニーは、窓開口と同じ表現として、その存在を消すようにしている。
「川尻光幼稚園遊戯室棟」 遊戯室はボリュームが必要で、しかも狭小道路によって耐火建築が要求されるが、いかに既存の景観を壊さないようにするかが、今回のテーマであった。傾斜地を利用して、ボリュームの大きさを感じさせない端正な建築となった。

積極的に建物を美化する事ばかりが美しい街につながるのではないと私は思っている。
目立たないようにする事も美しい街づくりにつながるはずである。
「美しい建築」というのであれば、評価のしようがないと言われても無理からぬことである。
しかし、この2つの作品は 「周囲の景観に配慮し・・・」(応募要項) 計画したものである。選ばれても不思議はない。

そもそも「美しい街づくり・・・」とはどういうことなのか。

都市計画法と建築基準法の網をかぶせていけば美しい街ができるはずだったのが、一向にそうならない。
一方で都市や建築も文化の一部のようである。
行政としても文化には責任がある(無いと思うのだが)、「美」に向けても参画しなくては・・・・こんな形で各地に様々な賞が作られたのだろうか。
おおよそ、行政は 「美」から遠いところにある。「賞」だけで「美」行政、「文化」行政、としてしまうのがそもそも横着と言わなければいけない。
「美」といったとたんに論理は飛んでしまう。
「心の問題」といったとたんに説得不要の問題になってしまう。
すくなくとも行政が使う言葉ではないように思う。
行政にあらかじめ再チャレンジの準備をしてもらわなくても結構である。
再チャレンジもできないようになったとき、少し助けて欲しいだけである。行政に「美」をほめてもらわなくても結構である。
それより「美」を追求する邪魔をしないでほしい、「美」を追求する環境を整える政策をとって欲しいのである。

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