KUWATA SATORU exhibition -in peace- から

建築は見えないものをデザインすることだと、もっとはっきり意識しなければと思っている時に、この展覧会を体験できたのはラッキーだったかもしれない。

桑田氏の展覧会は4年前の「読書する鉄 鉄学する本 1993~2000」展以来である。この時の展覧会は、鉄の作品と作品名を前にして、作家の制作意図に思いをめぐらせるという一般的な鑑賞スタイルを前提としたものであった。

今回の展覧会は、少し様子が異なっている。
同じような展覧会を期待して来られた方は、少々拍子抜けの面持ちで帰られる。会場に足を踏み入れても、目を凝らして鑑賞する対象、作品、オブジェが明確に提示されておらず、肩透しをくらった感じなのだ。

2-3ヶ月前に桑田氏の新しい作品を拝見した時、作品の変化を感じた。
紙袋を鉄で作ったその作品は、袋そのものを作るのではなく、紙の折り目を鉄で表現したもので、紙袋のエンプティネスというか、袋の側でなく袋に包まれた空っぽ側を表現しているように見えた。
目に見えるものでなく、目に見えないものを対象にしようという意向がうかがえた。

うちのギャラリーでまた個展をしませんかと声をかけさせて頂いて今回の展覧会が実現した。

ユリの花を型どった鉄のオブジェが会場に群生する。ただそれだけの展覧会である。
ユリという見慣れた形態ゆえに即座に了解されてしまって、作品そのものにはあまり目が注がれない。
だが、なんとなく長い時間そこに居ると、ある作品世界に居ることが感じられてくる。

そこでやっと、ユリの花がデザインされているのではなくて、鉄のユリによって、空気がデザインされているのだということに気づかされる。
垂直に屹立し、少しうつむきかげんに咲くユリの群生は、何か強い意思、謙虚な志、助け合う姿のようなものを感じさせ、不思議な空気がデザインされているように思われる。

ユリの花のレイアウトは、会期中3度4度動かされた。この展覧会は、空間だけでなく、時間もデザインの対象に組み込まれたものかもしれない。

この展覧会にタイトルをつけるのは、さぞかし難しいものだったのではないかと想像される。-in peace- 。to peaceではなくin peaceであることに、ある状態のデザイン、ある状況のデザインを目したものであることが再確認される。

「鉄」「ユリ」という物質的にも、形態的にも具体性を帯びたものをもってしても、抽象的な空気、目に見えない世界を表現できるのであれば、建築にそれができない訳がない。

物質性を消去していくことが、抽象性を獲得していく唯一の方法でもないことも再確認された。
目に見えないものをデザインしていく建築を具体的に考えていく、大きなヒントが得られたように思う。

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