入籠構成の家族像

ここに掲載した文章は新建築 住宅特集1995年03月号(頁80-81)に掲載した文章です。


■家族像と空間の可能性

 最近、事務所開設当時の依頼主から、増築改築の相談が増えてきた。久し振りに訪ねてみると、特に個室に関しては、当時の打ち合せとは違った状況で使用されていることが多い。小学校だったお嬢さんの勉強部屋は衣裳部屋に様変わりし、客間として格式を要求された和室は奥さんの寝室となり、嫁がれるお嬢さんの部屋は壁を取り壊してリビングの一部にする相談を受ける。家族の年齢も構成も当時と変わってきている。決定は1年間、使用は何十年だから当然である。
住宅の中で個室についていろいろ検討するのは、あまり意味をなさないのかもしれない。
単純に何室かを確保し、フレキシブルに部屋数も広さも変えられる程度の設計とし、どこが誰の部屋かも想定しない方がよいかも知れない。むしろ、その個室群と全体がどう関係するかが、はるかに重要である。
私は住宅を設計にあたって、個室と全体のあり方に関して、意識していることがいくつかある。ひとつは、外観からではなく、内部において家全体が意識され、ひとつの家の内に、居ることを実感できるような構成にすることである。さらに、おのおのの個室は全体に向けて開放、または閉鎖できる空間とすることである。
 まず、「全体」としての家がありその内部に、水廻りや個室を入籠の関係で置いていく。生活は、独立したそれぞれの部分と残された余白の空間で展開される。
建築という表現の最も特徴的な点は、機能をもっているという点だと思われる。が、住宅の機能は生活と考えられ、生活像や家族像の具体化が、住宅として、実現するのだと考えられる。入籠構成の個と全体の関係は私の家族像の表現だといえる。


■場所性と空間の可能性


建築のもうひとつの特徴的な面は、建築はその建つ場所と一体化した表現だという点であると思われる。
それ程大きくない住宅では、住宅を部屋の集合と考えず、まずひとつの「全体」と考え、周辺環境、場所性を考慮しながら設計を進めていく。
周辺の地形や建築物の状況、方位などの検討から、周辺環境に向けてどのように連続させるか、または閉鎖するかが、主な場所性の判断である。
場所性の検討により、外部に対する連続性と閉鎖性、住宅内部の個室と余白の空間との関係性をどのような構成、構造で実現させるかが設計の最終段階と考えられる。
そして、「どこに」「なにを」と考えたことをできるだけ直截に表現することを心掛けている。私には、そうすることにより、さまざまな空間と生活の可能性があるのではないかと思われる。

高美が丘の家

ロフトのある正方形の室が規則正しく5つ並び、少し離れてもうひとつの箱が置かれる。
個室は相互に連絡、また独立することができ、余白の部分に向けても開閉される。
余白は単なる余白である中庭とれんぞくし、どこからも全体が捉えられる。

平坦な新興住宅地にある住宅である。
プライバシーの確保と外界から遮断され、空と大地のみが意識される外部空間を得るため、四周を閉鎖的な壁で囲み、中庭に向けてのみ開放している。

丹那の家

3世代、6人の家族を想定した住まいである。
2.4m角の木造立体格子によって、7.2mの立方体がつくられている。
各キューブは必要に応じて室として切り取られ個室は3層にわたる余白の部分に向けて開閉される。
27個のキューブに対して個室と余白の取り方のパターンは無限にあり、多様な可能性をもつ構成。

山を切り開いてつくられた住宅地の小高い一角にある小さい敷地に建つ3層の小住宅である。
1層目は住宅地の景色と残された木立に向けて開かれ、上部2層は閉鎖的な壁で囲い、諸室がひとつの箱の中に存在するという構成を強調している。

毘沙門台の家

大人7人の生活を想定した住居である。
1階に3つ、2階に6つの諸室が半間幅の隙間を開けて並べられている。
個室は余白の空間に向けて開閉され、個と全体の関係がフレキシブルに変化する。

新興住宅地の南端にあり、広島市街の全景が見晴らせる高台の敷地である。
1・2階とも南面を足元まで開放し、残る3面は閉鎖的な壁とする構成にしている。

伏原の家

コンクリートに囲まれた四角の中に、木造の4つの箱が納められている。
屋根は鉄骨造によって大きな空間が確保されている。
4つの箱の上部も余白の部分であり、どこにいても「全体」が意識される。

敷地は市街地周辺の比較的建て込んだ住宅地の中にある。周囲から見下ろされ、景観も望めない下層の部分は、閉鎖的な壁で囲い、光と景観の得られる上層を開放的にした構成である。

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